ポケモンGOのリリース日は、2016年7月22日です。
そうです、明後日一周年記念なのです。
ということで、ポケモンGOの思い出話を書きます。
あの衝撃を忘れはしません。
社会現象となったスマホゲームといっても過言ではないでしょう。
当時、大学生だった自分は、Twitterにてリリースを知り、すぐさまダウンロード。
なにができるかもわからなかったため、起動したまま自転車にのって、近所を少し回り始めました。
すると、ポッポ、イーブイを捕まえることができました。
っだこれ、やべえ
と思ったのを覚えてます。
ポケストップを回した時の快感。
少し遠出してピジョンと遭遇した興奮。
そのまま学校へ行く途中に出会ったカイロス。
ボールがぐらぐらする部分でフリーズしてしまい、ゲットにならなかったバグ。
興奮は冷めることはありませんでした。
そのまま、立命館が大学へ向かいました。
そこには、無数のポケモントレーナーたちがいました。
スマホ片手に学内を歩き回る生徒たち。
僕は感じました、
っっべえな!!
BKC(立命館大学の滋賀のキャンパス)は洞窟扱いなのか、ゴルバッドの巣窟でした。
リリース3時間ほど、ズバットばかりでるBKCではすぐにゴルバッドに進化させることができて、
「オレのゴルバッドCP350あるでw」
ポッポのCP30とかを持っていた自分は思いました。
っっべえ、つええな!
それから、友人たちと合流しました。
「どんだけやった!?何捕まえた!?」
何もネットにも情報が出回っていない状態での、手探りでやるゲームの感覚でした。
それから出会った人数人で、学内をひたすらに歩き回りました。二時間ほど歩き回ったと思います。
やはり、興奮は覚めませんでした。
車の免許を手にしていた自分は、それから5日間は車を運転しまくって、各地へポケモンを入手しに行きました。
ポケモンの巣の情報がまだない時代、車に友人をのせ、スマホを渡してゲットを任せて
ひたすらに車を走らせました。
たまごの孵化と、ポケモンを探すためです。
公園につくと、そこにはやはり無数のトレーナーたちがいました。
2時間ずつ公園を回ったりしながら、時に飯を食べ、時にカブトをみつけて大歓声をあげ、
カモネギのためにUターンをし、ミニリュウに夢を感じ・・・。
気がつくと、ネットにポケモンの巣の情報とカイリューが最強であるということが判明していました。
京都府、円町公園(だったはず)
そこに、いる。
夜通しでミニリュウを捕まえ続け、夜1時から朝の7時まで、ポケサーチとともに、数多くのトレーナーとともに走り続けました。
・・・カイリューが作れていました。
圧倒的な達成感とともに、車を走らせて帰ったのでした。
公園にはパトカーがきていて、無断駐車をしている車を追い払ったりもしていました。
7月26日の京都遠征の時のスクリーンショット。
花が舞い、人がごったがえす。まさに祭りでした。
リリース4日間で、レベル21に達していた人は、日本でも結構上位だったと思います。
今は亡き、ポケヴィジョン。
それから、東京へ就活でくる際には、友人宅に泊めてもらって、ひたすらポケモンGOでした。
不忍池、就活そっちのけで毎日夜中三時間。
ここもまた、ミニリュウの巣なのでした。
夜中にもかかわらず、不忍池には、道いっぱいの人がいました。
ミニリュウの出現を告げるポケサーチの通知がくると、人々は群をなして移動をしていました。
時に、ハクリューが出現しようものなら、500人ほどの人が走るのでした。
きわめつけは、ラプラスです。
お台場に遊びにいっていたときのことでした。
目の前を大学生3人がとんでもない速度で走り抜けて行きました。
なにかがいる。
そう感じました。
スマホをみると、そこにはラプラスの影がありました。
ラプラス
まじ病気。
サイドンを捕まえるために東大付近から20分歩いたりもしました。
カナダでケンタロス。
NYでもやりました。
ポケモンGO plusも早朝から2時間並んで買ったりしました。
だいたい、10月とかもう少しまでやっていたと思います。
最終的には、日本国内でカイリキー以外を捕まえて残り1匹までやりこんでいました。
今のデータ
開始日がちゃんと刻まれています。
350kmほどは移動していたようです。
シカゴでイベントがあるそうです。
当時の自分だったら、行ってたなw