※ポエムです。
新幹線に乗るために、ホームに降り立つといつもなんとも言えない気分になる。
学生の頃に感じた高揚感が、東京に3年以上住んだ今も蘇ってくる。
多分、東京へよく行くようになったのは大学生の2年生のころ。
僕はなぜか少しだけ人よりも早く就活のようなものを始めていた。
就活なのか、楽しいからやっていたのかよくわからないけど、2年生ながら短期インターンに応募をしまくっていた。
今思うと長期インターンにいけよ、とは思うが
短期インターンでもいろんな出会いや機会を得られたので、それはそれでよしとする。
少し正直に書いてしまうと、短期インターンでも「交通費支給アリ」というものがあり、それが目的となっていたことは完全には否定できない。
ともあれ、インターネットを通じて応募をして
いけるようになった時の気持ち、そしてホームに降り立った時の「わくわく感」は絶対に消えないでいてほしいのである。
夜の少し肌寒いホームで、明日は何をして、その次は何があって、ご飯はせっかくだから良いものを食べよう、とか、今回は○○さんに会ってみよう、というやつだ。
そしていつも僕はホテルに泊まらずに、友人の家に泊まらせてもらっていた。
今思うと感謝してもしきれない。
いつも急に、「○日から東京行くんだけど、泊めて欲しい」と行ってやってくる。
しかも泊めてくれていたやつの家は1Kだし、布団も2枚敷けないくらいだ。
スーツケースをガラガラひきずりやってきて、5日間ぐらい居候する。
しかも布団のはじっこで勝手に寝る。狂気の沙汰である。
でも、あのことがあったから、よりわくわくしていた。
今日はどこどこ行ってくるぜ!といって出て行って、晩飯は一緒に外で食べたり、不忍池に行って朝方まで話し込んだりもした。
僕は、社会人になること、東京にいずれ住むこと、そういった未知なるものにとても憧れがあったし楽しみにしていた。
だからいつだって東京に来ることは楽しかった。
キラキラ輝いていた。
自分の知らない世界。これからやってくる世界。
そういう憧れの感情が、ぎゅっと詰まっている。
新幹線のホーム、新幹線にはそれを思い出させてくれる何かがある。
出発の時もそうだし、東京に着いた瞬間にもある。
とてつもない人の量をみると「あ、東京だ」と思う。
ビルが所狭しと並んでいて、「どんだけあるねん」と突っ込みたくなるほどの量のご飯屋さん。
「あー、東京だなあ」と思いながらまた、わくわく感にひたれるのだ。
そして着いたその日、寝るまでの間に、僕はこの雑多でエネルギーのある東京の街の中にいて、そこで明日からまた1日を始めるんだ、という思いになる。
こんなに人がいて、建物があって、その中の1つになれたような気がする。
じゃあ実際に東京はどうだったのだろう、と思い返す。
やっぱり東京に住んでみてよかったなあと思う。
たくさんの人との出会いがあった。
思い出もとてつもなくできた。
東京だったから、と断定できるわけではないけど、よく覚えているのは同期たちとご飯にいったこと。
夜、散歩をしたこと。どこまでも歩いて行って、ラーメンを食べて、コーヒー屋に入ったこと。
見つけるたびにスタバに寄ったこと。
朝まで飲んだこと。
こういう、思い出が作れたことが何よりうれしい。
少し真面目に書くなら、田舎じゃない暮らし、というものが経験できた。
狭いアパートに住み、高い家賃を払うこと。
その代わりどこでも30分でいけるし、イベントは毎日色々やっている。
おいしいご飯も食べ放題。
新しいアプリをいち早く試せる。車はあると便利。
タクシーがとてつもなく便利なこと。
買いたいものがあればすぐに買いに行ける。ヨドバシカメラはなんと5時間で配達してくれる。
そういう、東京だからこそ、というものをいっぱい体感できたのは財産だ。
こういう体感をもっていると、「次はどうしよう」ということも考えられるし、田舎で暮らすこと、とも比較がしっかりできるのだと思う。
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これから、東京と僕はどうなっていくのだろう。
また、住む場所になるのか、たまにやってくる、憧れの街になるのか。
いつまでもその憧れ、高揚感のある街であってほしいな、と思うし、それを感じる自分でもいたい。
そして、田舎と東京、さらに海外、といった体感をしていきたいとも思う。
刺激を受けたい、自分を前進させたい。
そう思った時に東京に来る自分がい続けられるようにしたいな、と思う。