読んだ経緯
BRUTUSか何かの本特集から、 からっぽ! -> 嫌われる勇気
自分と他者の分離、的な文脈で
読みたくなった、、はず。
嫌われる勇気
しっかり読むのは2回目だと思う。
初めて読んだのは多分、大学生の頃なので7年前とかになるのかな。
読んだ全体的な感想としては
今の自分に理解はできるし、実践できていることがありそう、と思った。
これを思って、「嫌われる勇気」を読んでいたからそう思えたのか
他の本でもそういうことを書かれていたのを吸収できていたのか気になった。
悩みの分解
あらゆる悩みは対人関係から生まれる。
そして対人関係の悩みというものは、自分の課題と相手の課題に分解可能。
自分が気に掛けるべきは、「自分の課題」。
相手の課題には介入しないこと。
介入するということは、縦の関係としてみなしてしまっているということ。
人間と人間は横の関係であるべき、と書いてある
縦の関係はどちらかが上で下といった関係。
ほめたり、しかったりすることも、縦の関係だからすること。
相手からの評価というものは、相手の課題である。
自分のふるまいを評価するのは他人であるので、他人からの評価というものは本質的に意味はない。 = 気にする必要はない。
また、一定数嫌いになる人というものもいるので、そこは自分の課題として切り捨てても良い。
幸せになるには
共同体の感覚をもって、そこに貢献していると自分が思えること。
自分が思っていればOKで、
他人から役に立っている、といった評価は必要ない。
共同体、というのはなるべく広く定義できると良い。
学校、だけではなく、もっと広い地域、地球、最終的には宇宙。
小さなコミュニティだけで考えると狭いので、広く持つこと。
対話の中から
最初に書かれているが、
対話の中で理解していくもの、と書かれている。
なので本も対話形式で書かれているのだろう。
地味にこれって重要なのでは、と思った。
人への理解や対人関係のことも、自分の課題ではあるものの
その課題を捉えて、どう定義していくかは、
対話を通してしか得られないのではないか、と思う。
今を生きる
人生は点の連続。
今、ここ、しかないのだから
過去も未来も関係なく、今をどう生きるかだけである。
事象の捉え方
考え方の根本は、個々人のフィルターをどう定義するのか、という話。
これは1つの世界を、対人をみるメガネを提供してくれている。
人生も、性格も
どういう目的のために、意味付けをどうするか、ということ。
アドラー的な人生のタスク
行動面
- 自立すること
- 社会と調和して暮らせること
心理面
- わたしには能力がある、という意識
- 人々は私の仲間である、という意識