ざっと書いていく。
ネタバレあり。
東京、シェアハウス、熱情。堕落。
各章が人の名前で分けられている。
第1章を読んだきりでは、なんだか山田詠美らしいというか、なんというか、人の矛盾とあっけらんとしている中にある欲望のようなものを感じた。
それは、ある意味、自分にとっての東京を構成する一部のような、現実にありそうでないようなモノを含んでいる。
最後の章、急な展開がやってくる。
これは、急な展開なのだろうか。
途中ででてくる、匿名のチャットのようなもの。
僕はシェアハウスではないものの、ルームシェアをしていた。
たしかに、ある気がする。
いかに近くに住もうとも、わかりしれない、他の一面。
それは、人間であり、人間であるからこそのもの。
全てを知り得ることはないのだ。
旅の「八方美人」ともリンクする。
そう、人はその人といるときの「自分」を演じている。科白というものだ。
誰もが知り得ないし、だからといって知らないわけでもない。
最後の展開
結局何が言いたいのか、というのはむずかしいな、と思う。
人の内面と外面、表層と暮らし。
知ることと隠すこと。
客観視するひとと内面で見つめる自分とは随分と乖離があるもので、それを認識しきれるものではない。
なんだか、人はバツのわるいものを抱えていて、気がついているが、
あるコミュニティの中では、それが許容、、、いや、隠蔽されて、生きているものなのかもしれない。
読後の感覚
家族を旅に連れていくまでの間に読んだ。
池上に滞在していたときに、「僕は勉強ができない」が置かれていた個人のフリースペースの本棚から手に取ったものだ。
山田詠美の本があるなら、信頼できるだろうと思って借りたが、個人的にあたりだった。
読後は少し気持ち悪さと、「やっぱ急に終わったか」という安堵のようなものも感じた。
いくつか、伏線のようなものが放置されている。
それも気味が悪い。
が、そんなもんだよな、そうなんだよな、という妙な変な納得感もあるのだ。
旅を通して、その後の東京で、人の矛盾、をもっと理解したからかもしれない。
そういう、あー、そうだよなー、という感じなのだ。
矛盾
ここ数日も、矛盾について考える。
人間には矛盾を抱えている部分がある。
全てがスムーズに一つの矢印の方向で成り立ってなどいないのである。
パレードの評価
この本がどう評価されているのか、本質的には関係ない。
が、「僕は勉強ができない」と同様の、自分にない憧れというか、情景が好きだった。
シェアハウスで人が集う感じ。
それは、自分も欲しくおもっている、さみしさを埋める装置のようなものかもしれない。